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「花火大会をするわよ!」
まだたまに吹く風が肌寒い五月も始めのこの時節にハルヒは例によってその瞳を輝かせ、なんら恥じることなどないとばかりに胸を張って声高らかに宣言した。
「なんでまたこの時期に」と、俺。
相変わらずのにやけ面のえせ超能力者は言わずもがな、美味しいお茶を淹れようと先程からずっとポットを睨んでいる部室専属のエンジェルや、やはりいつも通りに読書に没頭している小柄な宇宙人長門有希。
聞こえてくるはページを捲る音。そして今やポットの前の置物と化したかのように微動だにしない朝比奈さんから漏れ聞こえるうなり声。
俺以外のだれがこの唯我独尊にして厚顔不遜なワガママ娘に茶々を入れれるというのか? いやいない。
チラチラと先程からこちらを、何か期待しているかのような眼差しで胡散臭く見つめてくる視線をスルーして、俺はまたハルヒに問いかける。
「なんでまたこの時期に」
「二回言わなくていいから」
「いや大事なことだから」
「花火大会をします!」
「二回言うな」
「あんたが聞いてきたんでしょうが!」
俺が聞いたのは行動じゃなくて、理由だ。
「昨日、うちの物置を掃除してたらね、去年の花火の残りが余ってるのを見つけちゃったのよ。で見つけちゃったモンはしょうがないし使っちゃおうかなって」
そんなちょっとコンビニ行ってくる、みたいなノリでやるなら見つけたその瞬間にやればいいだろうが。ハルヒにジト目で対応すると、いつのまにか紅茶を人数分用意していた朝比奈さんが感嘆の声を上げた。
「花火大会ですかあ。なんだか楽しそうですね」
いえ朝比奈さん、そんな簡単に言わないでください。ハルヒのことです、花火大会という名のサバイバルゲームになるに違いありません。花火は人に向けるものじゃないんです。熱いんですよ。
俺がなんとかこの隙だらけの天使を救おうと説得しているうちにトントン拍子に話は進んでいるようで、ハルヒは長門となにやら話をしている。1人で詰めオセロをしているスマイル・マンが何か言いたそうな顔でこっちを流し見ている様だったが華麗にスルーして、俺はハルヒと長門の方に向き直った。
「うーん、そっか。じゃあしょうがないわね」
「ない」
「何の話だ?」
「花火大会の会場よ。ドコにしようかなって。有希のところのマンションでやれないかなって思ったんだけど……」
「そんなもん川とかでいいだろ」
「それだとちょっとしっくりこないのよねえ」
しっくりくるもこないもあるか。川がよく選ばれているのは側に水があるという合理性と涼しさを感じさせる風情もあってだな。
「あ、そうだ。学校の屋上なんていいんじゃないですかぁ」
ふわふわした様子で朝比奈さんが余計なことを言った。いつにもまして笑顔が眩しいです、朝比奈さん。でもあまりハルヒに追随するようなことは言わないで頂けませんか。
ただまあ、この様子だとハルヒ以上に楽しみにしているように見える朝比奈さんの顔を曇らせるのも無粋だし、たまに花火をするのもいいかもなと思い始めてきた。時期ハズレなのはともかくとして。
「あんたはイチイチ拘りすぎよ。もっと柔軟になんなさい。それでも雑用係なの?」
雑用と秘書を勘違いしてやいないか、ハルヒよ。
結局勢いに乗ったハルヒと朝比奈さんを止められるわけもなく、しかも夜更け過ぎを待つこともなく北高の屋上にて花火をすることになったのだった。
カキーン! と野球部の練習する音を背景に、日の当たる屋上で花火を用意する俺たち。なんだ、この、これ、なんだ?
ニコニコとした表情を崩さずに水の入ったバケツを持ってきた二枚目優等生を迎えつつ、それを受け取って花火とロウソクの前にバケツを置いた。
「先に言っておくが」
「花火を人に向けちゃだめよ?」
「それは俺のセリフだ!」
「あんたが何を言うかなんてお見通しだから。それに屋上でそんなアホなことしたら危ないじゃないの」
「それも俺のセリフだ!」
しかも思っていた以上に外は明るいぞ。本当に花火をするのか?
ハルヒはぐるっと回転しながら空を眺め、顎に手を当てて「うーん」と唸ると
「たまには明るい中で花火をするのもいいかも知れないわ。やったことないし」
そりゃそうだろうよ。花火は暗くないとそもそも見えないしな。
どうしたもんかと思っていたところに都合よくデカい雲が風に流されてきてほどよく陰になった。まだ明るいがこれなら花火も楽しめるだろう。
横にいたハルヒはいつの間にかロウソクの側に寄っていて、さっそく火をつけていた。
「風も止まったし、今がチャンスよ! ほら、みくるちゃんも花火持って!」
「あ、はあい」
なんだかいちいち心配しているのがあほらしくなってきたな。滅多にない機会だ。俺も楽しもう。
といっても、特に大型の花火を持っているわけでもなく、普通のファミリー用の花火を思い思いに咲かせるだけだ。
ハルヒは両手で持ってさながら飛行機のように飛び回り、朝比奈さんはバケツの側で片手に花火を持ってボーっと眺めていて、長門は立ったまま線香花火をジッと見つめている。
なんだ思ったよりも楽しいじゃないか。さっきから全く落ち着きのない女を除けばなんとも和む光景だ。
「ハルヒ、あんまりうろちょろするなよ。ただでさえ学校内で火を使うなんて細心の注意が必要なんだ」
「分かってるわよ。だから水も、火の始末だってちゃんと抜かりなく準備してるじゃない」
俺が火の元を見やると、アイドルグループの端っこにでもいそうなイケメン高校生が微笑みを絶やさずに水の入った小型のバケツを手に持ち、足元には大型のバケツを用意して佇んでいた。
視線が合うや否や何を思ったかこちらに近づこうとしたところ、次なる花火を手にしようとしたハルヒと側にいた朝比奈さんとの三人が息を合わせたかのように盛大に衝突して、バケツの水を思い切り引っかぶった。
おいおい大丈夫かと慌てて近づいた俺だったが、慌てて目をそらすことになる。朝比奈さんほどでは無いとはいえ、スタイル抜群のハルヒとその下に折り重なって倒れている巨乳グラビアアイドルも真っ青な朝比奈さん。互いに仰向けで抱き合っている状態で、水に濡れて身体のラインがしっかりと浮かび上がりなんとも艶めかしい。ああ、あの二人の間に挟まりたい。まさしくコレは現代日本に現れた桃源郷である。あまりの眩しさにとても注視することが出来ない!
だがさりとて目を離すことも出来ずその場で硬直してしまっていた俺の姿を目ざとく見つけたハルヒは獲物を見つけたハンターのような素早さで起き上がり、俺に詰め寄ってきた。
「キョンこらあ! 何見てんの!」
「ま、待てハルヒ! 誤解だ!」
「五回も六回もあるもんですか! なに考えてんの!」
「いいから落ち着け……ってうぉ!?」
「えっ、きゃ」
一体何のお約束か、ハルヒともみ合っているうちにどちらかの足が引っかかりそのまま倒れ込んでしまいそうになる。なんとかハルヒを押しつぶさないように体を入れ替え、屋上の床へとしこたま背中をぶつけたと同時に正面からは柔らかい感触が俺を襲った。
こ、この感じは、まさか!?
「いつまでも揉んでんのこのエロキョン!」
だがその感触を確かめようとする前にハルヒが飛び起きると同時に俺を弾き飛ばした。
ええい、もう少し……って何がもう少しなんだ。混乱しているのが自覚出来るほど、俺は取り乱していたようだ。
それはハルヒも同じようで、今にもまた飛びかからんと臨戦態勢を崩さない。
そんなとき、カシャッ、とカメラのシャッター音がやけに大きく響いた。
「え! な、何?」
いち早く気づいたハルヒの声に我に返りすぐさま辺りを見回す。すると今や戦場カメラマンと化したエスパーボーイが柔和な笑みでデジタルカメラを片手に掲げていた。
言い忘れていたが、こいつは今回カメラマンを自ら買って出ていたのだった。団活の記録だとか、色々と口上を述べていた気がする。
ハルヒはすぐさまデジカメをひったくると件の写真を確認したのちなにやら操作しているようだった。そして何か思い出した、という顔で
「花火大会は一端中止! 後片付けは頼むわね」
「おいどこに行くんだ」
「どこって……き、着替えるのよ! ほらみくるちゃんも!」
「はぁい、待ってください」
朝比奈さんの手を繋いで早足で去る濡れネズミな二人に続いて長門もふらっと屋上から出て行った。おそらく部室に戻るのだろう。必然的に片付けは俺の仕事になる。
今日はいつも以上に騒がしかった気がするな。しかしまぁこんなハプニングもたまには悪くない、か?
空を見上げながら、隣で俳優のような演技めいた動きで頷く男子同級生と共にやれやれと溜め息をついた。
その後、片付けを済まして部室に戻る際、うっかりノックを忘れてしまい新たなハプニングもあったのだが……それは割愛させてもらおう。